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北秋田市 浄運寺 小林家のお墓です。
弊社は創業40年以上になります。これまで数多くのお墓を作ってきましたが、記憶にある限りではこの小林家の墓石は過去最大の大きさになると思います。間口13尺4寸(4060㎜)奥行25尺5寸(7727㎜)と秋田県北部の平均的な墓石の約13倍ほどの大きさになります。お墓のデザインに4ヶ月、本体文字の決定に1ヶ月、施工工事に1ヶ月半と半年以上にも及ぶ大きな仕事でした。
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北秋田市 浄運寺 小林家のお墓です。
弊社は創業40年以上になります。これまで数多くのお墓を作ってきましたが、記憶にある限りではこの小林家の墓石は過去最大の大きさになると思います。間口13尺4寸(4060㎜)奥行25尺5寸(7727㎜)と秋田県北部の平均的な墓石の約13倍ほどの大きさになります。お墓のデザインに4ヶ月、本体文字の決定に1ヶ月、施工工事に1ヶ月半と半年以上にも及ぶ大きな仕事でした。
二ツ井町 清徳寺 永井家と斉藤家の新規建立墓石です。今回、偶然にも同時期に同じ墓地でなおかつ区画も近い両家の新規建立墓石です。清徳寺様の墓地区画は、かなり特殊な宗教でない限り宗派(神道含む)を問わず受け入れるそうです。
北秋田市 福寿寺 齊藤家の新規建立墓石です。
弊社は福寿寺様には常日頃から懇意にして頂いたております。写真に写っている墓地区画は弊社が造成工事を行っております内寸2m×2mで全20区画になっております。まだ区画は空いていますので、詳細を知りたい方は北秋田市の福寿寺に問合せをしてみてください。
北秋田市大野尻墓地 鎌田家の新規建立墓石です。
鎌田家の文字彫刻、右上と左下に桜の花を彫刻をした墓石だったのですが故人が蘭の花が好きだった事から欄を彫刻してほしいとの要望があり写真の形となりました。
ちなみに桜や蘭以外の彫刻も可能ですので何なりとお申し付けください。
北秋田市 石ノ巻墓園(公営墓地)に建立した戸嶋家と片岡家の規制型墓石です。墓石の基本的な大きさは市の規定に沿ってなければなりませんが彫刻に関しては特別、規制はありません。
両家とも故人への想いを彫刻で刻みました。
清鷹小学校は2021年4月、鷹巣中央小学校と鷹巣南小学校の統合により誕生しました。その記念碑、建立を引き受ける事になりました。
今後は両校の伝統を引き継いで新たな歴史を作って行ける様、祈念しております。
ちなみに、学区には世界遺産『伊勢堂岱遺跡』があります。
北秋田市で果樹園を経営している伊東様のお墓です。写真の彫刻は当初リンゴの花にするつもりでしたが、花の形が桜に酷似している事からリンゴの果実と枝木にしました、このお墓の特徴として納骨堂は左右二つに分けられています。因みにこちらの果樹園で栽培されたリンゴ製品は北秋田市の、ふるさと納税、返礼品に指定されている逸品であります。
解体前
組み直し 完成
北秋田市 長田家 お墓の解体・組み直しです。依頼が来た理由がお墓全体が前の方へ傾いたので基礎コンクリートを打って組み直してほしいとの理由でした。施工前の写真で前の方にバケツがありますが、ここには穴があり土葬をした場所だったようです。お墓が傾いた一つの要因に思われます。墓石は一旦、解体をして自社工場へ持ち帰り清掃してから現地で基礎コンクリート打設をして組立作業を行います。また前にある灯篭は事前の現場確認時には倒壊していましたので、今後の対策もかねて耐震加工を施しました。
令和6年3月をもって閉校となる北秋田市の市立前田小学校の閉校記念碑を建立しました。当初、関係者は大き目の石を設置するだけの記念碑を想定していたそうですが、創立から約150年の歴史に幕を閉じるわけですから有終の美にふさわしい物を残した方が良いと提案させていただきました。2枚目の写真に写っている盛土の廻りに敷いている石は地元で前田富士と呼ばれている山の自然石を使っています。記念碑の後方には関係者すべての思いが詰まったタイムカプセルを埋めています。20年後、皆様がタイムカプセルを開封した際、感慨する事が想像できます。その記念に携われた事は石屋冥利につきます。
解体前
文字彫刻
お墓じまい 一部再利用
能代市 原田家・加藤家の墓じまいと移設工事です。今回の依頼は亡くなった旦那様のお墓を建てると同時に依頼者の実家にある、お墓を解体したいとの事でした。実家のお墓をすべて処分してしまうのは、やはり一抹の寂しさを感じると、お話されたので解体する墓石の一部を再利用する事を提案させて頂きました。写真下段、緑の腺で囲まれた部分が原田家の墓石を再利用させていただいた墓石です。本体部の「一期一会」の文字は奥様が書道家であるため、旦那様へのご供養の気持ちを込めて原田様ご本人が書き記したものです。戒名を刻字する石板である墓誌の表は原田家、裏は加藤家と両家を尊重したうえで分けております。